こんにちは赤羽です。
上井草すまいる鍼灸整骨院とレンタルサロンsimpleを経営しています。
このブログでは、治療家(鍼灸師・柔整師・あマ指師・PT・OT・整体師など)の収入アップや独立開業に役立つ内容を発信しています。
今日は、私が経営を考えるうえで大きな影響を受けた人を紹介します。
藤田田(ふじた でん)さん。日本マクドナルドの創業者です。
銀座のユダヤ人と自ら名乗り、周囲からもビジネスの天才として名を馳せた人です。
実は私、高校生のときにマクドナルドでアルバイトを始めて、そのまま社員になり、約16年間働いていました。
つまり私にとって藤田田さんは、ビジネスを学ぶきっかけになったマクドナルドを作った人であり、ビジネスの世界のあこがれの人です。
アルバイトを始めた時は、藤田さんのことは全く知りませんでした。
高校生や大学生なら仕方ないですよね。
日本マクドナルド株式会社に入社した後は名前や経歴くらいは知っていましたが、特になんとも思っていませんでした。
特にお会いする機会もなかったし、日本マクドナルド株式会社自体が既に超巨大企業で雲の上の人すぎて憧れることすらしていませんでした。
でも私が憧れていた上司や先輩社員の人達が藤田さんを尊敬していたので、だんだん気になってきました。
藤田田とはどんな人物か
簡単にプロフィールをまとめます。
- 1926年、大阪市生まれ
- 東京大学法学部卒業
- 在学中の1950年に「藤田商店」を設立(輸入雑貨の会社)
- 1970年、東京タワー蝋人形館開設
- 1971年、日本マクドナルドを設立。1号店は銀座三越
- 著書『ユダヤの商法』(1972年)が大ベストセラー
- 1989年、日本トイザらスを設立
- 2002年に社長を退任、2004年に逝去

私は1990年からマクドナルドでアルバイトを始め、社員として入社したのは1998年でした。
社員になってから藤田社長から学べた期間は短かったですが、藤田社長時代に社員になれて本当に良かったと思っています。
ここまで読んでくれた人の中には、
「日本のマクドナルド作ったのは凄いと思うけど、全然有名じゃないよね」
なんて思っている人もいるかと思います。
確かにマクドナルドの知名度と比べると、藤田田さんの知名度は低い気がします。
藤田田チルドレン
でも、藤田さんの弟子とも言えるような人はみんなが知っている人です。
その人は孫正義さんです。
孫正義さんといえば、ソフトバンクグループを作った人です。
ソフトバンクグループとはあなたが使っているLINEやPayPay、ヤフー、そして通信事業としてのソフトバンクの会社を束ねているグループです。
あなたもソフトバンクグループのサービスを一つくらいは使っているでしょう。
特にLINEは、総務省発表の利用率(13歳〜79歳)が92.9%、LINEが発表している月間利用者数も1億人を超えています。
これを読めているあなたもネット環境があるということですから、きっとLINEは使っているでしょう。
その孫正義さんがまだ学生だった頃に、「どうしても会いたい」と押しかけ、数分だけ話す時間を作ってもらい、
「君みたいな若い人はコンピュータの仕事をやりなさい。これからはコンピュータの時代だよ」
と言われ、その助言でコンピュータ事業に進んだと言われているのです。
他にもファーストリテイリング(ユニクロ・GU)の柳井正さん、楽天グループの三木谷浩史さんなども藤田さんに大きな影響を受けたと言われています。
更に飲食業界各社の社長や会長などにはマクドナルド出身の方も多数いらっしゃいます。
- 村尾泰幸:バーガーキング・ジャパン 社長
- 臼井興胤:コメダ 社長
- 興津龍太郎:すき家本部 社長
- 紫関修:フレッシュネス 社長
- 友成勇樹:モスダイニング 会長
こちらの方々は私が社員時代に本社で部長や役員をされていました。
当時からすごい人たちでしたが、もっとすごい人になってますね。
私の恩人もすごい人たち
就職活動でダメダメだった私を、入社できるように強く推薦してくれた3人の恩人の方たちもすごかったんです。
- 有本均氏:バーガーキング社長➔ユニクロ大学部長➔グローイング・アカデミー創業
- 遠藤久氏:すかいらーくグループ役員➔スイートスタイル社長➔エムアイフードスタイル代表➔ひらまつ社長➔KFC社長➔KFC会長
- 市川洋一氏:タリーズ営業本部長➔伊藤園役員➔フードバリュー・ピープルバリュー創業
この3名のスーパースターが統括マネージャー、エリアマネージャー、店長として私の上司だったのです。
そんな人達に憧れて私は働いていました。
その方々が憧れていたのが藤田田社長でした。
まさに雲の上の存在です。
こんなすごい人たちが揃っていたんですから、当時のマクドナルドはすごかったんです。
そんなすごい人たちも藤田社長が会社を去った後、次々に会社を辞めてしまいました。
私もそんな方々に続いて退職しました。
憧れの人達がいなくなったマクドナルドで働くことに、魅力を感じなくなってしまったからです。
「銀座のユダヤ人」と呼ばれた男
藤田田さんは、自らを「銀座のユダヤ人」と名乗っていました。
きっかけは、東京大学の学生時代です。
戦後まもない頃、藤田さんは学費と生活費を稼ぐために、GHQ(連合国軍総司令部)で通訳のアルバイトをしていました。
そこで出会ったのが、ユダヤ系のアメリカ兵たちです。
軍の中では決して高い地位ではないのに、商売の才覚で豊かな暮らしをしている。
その姿に驚いた藤田さんは、彼らから商売の考え方を学んでいきました。
そして在学中に、輸入雑貨を扱う「藤田商店」を立ち上げます。
クリスチャン・ディオールのハンドバッグなど、当時の日本ではなかなか手に入らない高級品を扱いました。
これが「銀座のユダヤ人」の始まりです。
1,000万円かけて守った約束
藤田さんが世界の商人から信用されるようになった、有名なエピソードがあります。
1968年、アメリカの石油会社から、ナイフとフォーク300万本の注文を受けました。
ところが、国内の工場の生産が間に合わない。このままでは納期に遅れてしまう。
そこで藤田さんがとった行動は、ボーイング707を丸ごとチャーターして空輸することでした。
かかった費用は、当時の金額で約3万ドル、日本円で約1,000万円。
利益が吹き飛ぶどころか、大赤字です。
それでも藤田さんは、納期を守りました。
この話は世界中の商人の間に広がり、「あいつは約束を守る日本人だ」という評判になりました。
翌年には、さらに600万本の注文が入ったそうです。
目先の1,000万円より、信用を取った。
この信用が、のちにマクドナルドという世界的企業と手を組む土台になっていきます。
治療家も約束を守れ
私たち治療家にとっての「納期」は予約の時間です。
だから私は絶対に予約時間を守るようにしています。
予約の時間なのに、いつまでも待たされるようなことは絶対にしたくありません。
予約時間を守れないくらいなら、予約制で仕事をするべきではありません。
人の命というのは時間で表されます。
- 〇〇年生きた
- あと〇〇年生きられる。
そう表現されますね。
つまり時間は命です。
人の命とも言える時間を簡単に奪うような治療家は、信頼できません。
1回の遅刻、1回のドタキャンが、積み上げてきた信用を一瞬で崩します。
失った信頼はそう簡単に戻せません。
「築城三年落城三日」です。
信頼の大切さはこちらの記事でも書いています。

まとめ
- 藤田田さんは日本マクドナルドの創業者
- 東大在学中に藤田商店を立ち上げ、マクドナルド、日本トイザらスを日本に根づかせた
- 銀座のユダヤ人と名乗り、ビジネス界で活躍していた
- 信頼を最重視して、約束を守るためなら身銭を切ることも惜しまない人だった
- 一般的な知名度は高くないが、孫正義さんの進路を決めた人でもある
- 日本の外食業界のトップには、マクドナルド出身者がたくさんいる
- 私の恩人である3人の上司も、のちに外食業界を代表する経営者になった
- その人たちが憧れていたのが、藤田田さんだった
私はアルバイト時代を含めて約16年、この人がつくった会社で働いていました。
当時は雲の上の人すぎて、何も気づいていませんでした。でも今、自分で商売をするようになって、あの現場で見ていたものひとつひとつに意味があったことがわかります。
次回からは、藤田田さんから学んだことを、ひとつずつ深掘りしていきます。
藤田田さんの書籍はどれもオススメですので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。







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